告白は浅い眠りの後で(中編/エルリ/E)
無言の抱擁を解くことをどちらもしようとしなかった。
使用人の老婆がやってくる足音に気づき、自然に体が離れていった。
リヴァイが視線を合わせることはなかったが、素直に夕食の席に移動をした。
『お口に合いますかしら、』
久しぶりの客人に早いうちから仕込んでいたらしい家庭料理の数々が並ぶ。
リヴァイは「悪くない」と幼さに反した言葉を投げては食べ続けた。
老婆からしてみたら、孫にもあたる年齢だ。
俺が結婚していれば中学生になる子供がいてもおかしくはない。
祖父や父の代から使用人をしていた老婆の目は、何かに置き換えて見つめているようにも思えた。
夕食を済ませると、書斎で個人授業をした。
数学と科学を見てやった。
飲み込みも早く、まったく手はかからなかった。他から付け入る隙を与えないような学び方をしている。
苦手だと感じた部分を俺から学ぼうとしていたように感じる。
「年寄りをこき使うな」と言って、老婆を今日の仕事から解放するように俺に言った。
案の定、老婆は目を細めて「坊ちゃんにお子さんができたようで、」と言って涙ぐんでいた。
ベッドメイクまでしていってくれた老婆を見送り、部屋に戻るとリヴァイは俺の書斎で本を読んでいた。
父が遺した本の数々がそのまま保管されている。
まだ手放す気にもなれなかった。
『リヴァイ、風呂に入ってきなさい。』
『ばあやは帰ったのか。』
『ばあや?』
『お前のばあやだろ、金持ちのボンボンが。』
『ふ、なるほどな。ああ、無事帰ったよ。』
『そうか。』
リヴァイが読んでいたのは世界史の本だった。
あった場所に戻すと、もう風呂の位置を理解していたらしく、持ってきた荷物を一部手にして姿を消した。
父性なのか、違うものなのか。
否、違う。
俺はあの美しい少年に、確かな良からぬものを抱えている。
あと一年、更に一年、卒業するまでには美しさと鋭利さに磨きがかかるのだろう。
背丈も今より少しばかり伸びるかもしれない。
だがやはり、俺を越すほど伸びるとも思えない。
それはただの勘なのか、願望なのかはわからないが。
小柄な美少年になるのだろう。
未成年相手に酒を飲むわけにもいかない。
ここはやはり、約束通りのものを入れるしかない。
あの少年の為に俺は紅茶を入れた。
氷を溶かすようにして入れるアイスティーだ。
砂糖も入れる。
アップルティーの香りに甘さが伴い、風呂上がりの体に染みていくだろう。
デキャンタに入れたアイスティー。
よく冷えた頃に、水を滴らせた美少年が戻ってきた。
『…、』
白いティーシャツ姿で立っていた。
下には下着ぐらい履いているのだろうが、シャツの丈が長くて分からなかった。
『約束のものだ。』
ガラスのグラスにそれを注ぐ。
アップルティーの黄金色の香りが漂う。
『エルヴィン、』
素足で近づいてくる。
『よく掃除されている風呂だった。』
『そうだろう。さあ、座りなさい。』
リヴァイは大人しく椅子に座った。
濡れた髪を拭っている。
額がよく見えてまた違った印象を与えてくる。
『だからつい長風呂をしちまった。』
『そうか、それは何よりだ。』
『喉が乾いた。』
『さあ召し上がれ。』
カラリと氷が動く音がした。
細い指にグラスを持たせる。
グラスを唇に寄せ、そして音を立てて飲み干していった。
一度口につけるとそれは止まらず、グラスはあっという間に空になった。
溶けかけの氷も口に含んで消化したらしい。
『美味い。』
『そうか、そう言われるとやはり嬉しいものだな。』
リヴァイは空のグラスを突き出した。
もっと寄越せと言っている。
デキャンタを傾け、新たに注いでやる。
リヴァイは今度はグラスの中を暫し見つめた。
『エルヴィン、』
『どうした、』
それから彼は俺を見上げた。
『風呂上がりに飲めば、大抵のものは美味いに決まっているだろう。』
『、』
そう言われた瞬間、腹の底から背筋を通って何かが登ってきた。
ゾクリとした。
『二杯目がつまらない味をしていたらお前への点数は減るからな。』
『俺に点数など付けていたのか、』
リヴァイは何も返さずまたグラスを煽った。
ゆっくり口に含み、細い目を伏せがちにして。
それから瞼を落として、睫毛を僅かに震わせた。
ゾクリ。
背筋を通って登ってきたものが、俺の肩に手を掛けてリヴァイを覗き込んでいる。
『…ちっ、美味いな、』
『はは、』
笑った瞬間、俺の背後にいる何かが姿を消した。
『おい、お前もさっさと済ませて来い。』
教師を顎で使ったな。
『わかった、自由にしていてくれ。』
リヴァイは頷き、またグラスに手を伸ばしているところで俺は書斎を出た。
恐らくまた父の本を読みながら待つのだろう。
シャワーを浴びると一日の疲れが軽減されるようだった。
中学校は小学校程ではないと思うが、やはり意思疎通のいかない生徒も少なくはない。
体力的なことよりも、精神的にくる仕事だろう。
だからだろうか、アルコール以外では紅茶を嗜むようになったのは。
ひとりで紅茶の香りを疲れた頭に染み込ませると、心に積もった何かが軽くなる気がしていた。
気休め。
それで十分だ。
それらを君と分かち合えるとは嬉しいよ。
リヴァイ。
風呂から戻ると案の定、リヴァイは椅子の上で膝を抱えるように座り、世界史の本に食いついていた。
デキャンタの中身がだいぶ減っていた。
飲むことも忘れなかったようだ。
『待たせたな、』
この後はもう寝るだけだ。
朝になればまた「ばあや」がやって来て二人分の朝食を用意してくれるだろう。
そしてまた左ハンドルの車で登校するだけだ。
ふたりで。
『寝ようか、』
『ああ、』
立ち上がったリヴァイは最後に紅茶を口にして、眠たそうな目を擦った。
『エルヴィン、』
擦りながら、俺を呼んだ。
『なんだ、』
『するのか?俺はかまわない。』
『なにを?』
擦っていた手を下ろして、幾分力が抜けた目で俺を見つめてくる。
『そういう趣味があるから、お前はあの教師を振ったのか?俺の前で。』
そういう趣味という言葉と、教師を振ったという言葉が直ぐに結びつかなかった。
そしてそれらを理解出来た時、やはり偶然だった事がわかった。
少なくとも、俺の場合だが。
俺はあの日、リヴァイが廊下にいた事に気づいていなかった。
リヴァイは俺と女性教師の話を聞いていた。
そしてリヴァイは俺が気づいているかもしれないと踏んでいた。
その上で断った後にあの女性教師のプライドを傷つけるような一言を俺に残した。
中学生がそんなことを出来るものなのか。
だが、何故。
俺の場合は完全な偶然だ。
そしてそれをきっかけに、リヴァイという生徒に興味を持った。
では、リヴァイは。
『リヴァイ、』
『なんだ、その気になったか?』
眠たそうにしているくせに、その意地を張ったような態度は何なんだ。
色々な部分が伴わない少年だ。
『君は、俺を陥れるためにあの時廊下で声をかけたのか。』
リヴァイの顔から眠気が飛んだ。
『何のために?』
一歩詰め寄る。
リヴァイは動かなかった。
『クソが、』
俺は動じなかった。
リヴァイから視線が逸らされる。
軽く歯を食いしばったように見えた。
それからまた、俺を射抜くように見上げてきた。
『お前がそれを俺に言わせるのか?エルヴィン。』
『なに?』
リヴァイの小さな手が力強く握られる。
感情が手のひらに集まっているらしい。
何の感情なのだろうか。
怒り?
いや、少し違う。
羞恥ーー
それか。
『ではお前は何のために俺をここに呼んだ?』
何のため。
リヴァイという少年に良からぬものを抱いたからだ。
個人的な時間を通して知らない顔を見たかった。
今となっては、腹の底にあるものの正体を知りたいが為でもある。
『エルヴィン、』
『お前を知りたかったからだ、リヴァイ。』
書面上の生い立ちは調べた。
心の中に刻んできた生い立ちに触れたいと思った。
細い体を閉じ込めたいと思った。
綺麗に刈り上げられている項に唇を寄せたいと、今なら思える。
ああ、俺は、この少年に欲情していたのか。
腹の底にあって、背骨から肩まで出てきて、リヴァイを覗いていた正体は、俺の肉欲そのものだったのか。
『リヴァイ、俺たちは後はもう寝るだけだ、それがどういう事かは理解しているか?それとも俺の勘違いでしかなかったかな?』
『ああ、間違いじゃない。ヤりたきゃ、ヤれ。』
一歩踏み出し、俺の前に向かってくる。
二歩、三歩している間に下着は履いていることを知った。
腕を広げた。
リヴァイはその中に入ってきた。
踵を上げた。
全く届かないキスをしてきた。
だから俺は頭を下げた。
彼の腰を抱いて、距離を縮めた。
唇が重なる。
憎たらしく、幼く、そして甘美な唇。
唾液は紅茶の味だった。
リヴァイは、俺に対して良からぬ思いを抱えていた。
女性教師の恋路を蹴るようにして、自分の恋路を切り開く。
なんて十三歳なんだろうな、お前は。
その十三歳に欲情する俺はなんて大人なのだろうな。
リヴァイ。
お前の体の中を引き裂くことを許して欲しい。
後編に続く。